「コガネサンコウ」という馬に乗っていたとき、雷が鳴った。馬はビックリして少し跳ねた。初めての経験。普段おとなしい馬が跳ねるなんて、舞月にとってそれはもうビックリ。馬も暴れるということ。
それからは、乗る前に必ず指導員に「大丈夫? 怖くな〜い」と聞くようになった。
その「怖さ」にもかかわらず、白い馬に乗る目標は、舞月の中では消えていなかった。
それから100頭近くいる馬の名前を覚え、細かい馬の動き(耳、目、口、鼻)など、どういう時にどういう動きをするのか、怒っているときや、何か欲しいときなどの動作を覚えては、よく母に話しをしていた。
もうその時には、馬という生き物に愛着を感じ、それはもう毎日人参をあげていた。
母は、人参代が大変と言っていた。
しかし、馬は何でも食べることを知り、スーパーに行っては、キャベツの表面の葉がゴミ袋に捨てられているのを見て、45リットルの袋いっぱいにキャベツの葉を入れて持ち帰ったという。
母は、恥ずかしかったと言っていた。
舞月は、サンタクロースのように、45リットルのゴミ袋のキャベツを担いで、100頭近くの馬すべてにあげ、いつも帰るのは夜の8時過ぎ。
馬に乗り終わってから、1頭1頭に話しかけ、キャベツをあげていたのでどうしても遅くなり、他のお客さんがいなくなり、母に急かされて家に帰った。
小学4年生の夏休み、何が何でも4級ライセンスを取りたいと目標を持った舞月は、夏休み中毎日、朝から夜まで馬に乗った。舞月にとって、友達と遊ぶより馬に乗っている方が良かったのでしょう。
毎日、1日に乗れる上限の6頭に乗っていた。
本人の気持ちとは裏腹に、身体はもう悲鳴をあげていた。下痢が続いてお腹が痛いと...
母や指導員に休むように言われたが、本人の気持ちは強く、「馬に行きたくない」と言ったことは一度も無かった。
2年連続して「最多騎乗賞」という賞ももらった。年間で、400頭近くに乗った。その頃には、自分で全て、馬装から手入れまでしなければならなかった。
身長130cmぐらいしかない舞月にとって鞍は重く、母はよく鞍を乗せてあげたり、馬装を手伝っていた。
馬にとっては舞月は「ただのチビ」
馬鹿にされ、脚立に乗ってハミ(銜, くつわ)を付けようとすると馬は首を上げて「どうだ!! 届くかぁ〜!!」という顔をしていた。
そのたびに馬装が遅れ、最後には指導員に手伝ってもらい、いつも最後になり、レッスンの時間に遅れ、そのたびに母に叱られていた。
母は、他の人が15分かかる馬装であれば、舞月はその倍、30分で馬装をしなさい、と言い聞かせたこともあった。
それでも時間がかかり、しまいには「先生、できな〜い」「やって」と甘えることを覚えた。
母は指導員に「どんなに時間がかかっても、レッスンに出られなくても良いから手伝わないでください」と言った。
さらに舞月には、レッスンに1分遅れる毎に「漢字を100個書きなさい」と。
2分遅れれば200個。結局1,000個以上の漢字を書いたこともあった。
馬は可愛いけど、一筋縄ではいかないということを、子供なりの頭で感じたと思う。